はじめまして!【ケビン松永】と申します。
ハーフみたいな名前ですが、これはハンドルネームでして、実際は生まれも育ちも完全ドメスティックな日本人男性です。
- 家族:妻と子供3人
- 仕事:ITコンサルタント。新卒で大手SIerに就職しシステム開発に従事してましたが、思い悩んだ末に独立しました。
- 好きな言葉:運も実力のうち、実力も運のうち
生まれ〜学生時代
関東近県のニュータウンで生まれました。最近は過疎化が進んでいて、実家に帰省するたびにヤバイ空気を感じています。男兄弟の末っ子で、たいそう可愛がられたのかと思いきや、我が家は封建社会でした。そんなに人権は無かった。
そのまま公立の小学校、中学校へ進学。田舎の公立学校ってアレですよね。リアルに毎日がビーバップハイスクール、いやホントなんですって。中学生の時はバスケ部でキャプテンやってました。人生のモテ期をここで使ってしまった。。
その後、県立の進学校へ入学しました。バスケ部にも入ったんですけど、鬼コーチが怖くて1年で辞めました。代わりに飲食店でのバイトに明け暮れました。バイト後に大人の方々と一緒に、夜の街に繰り出すのが楽しかった。
大学時代
一浪して東京6大学のどこかに入ります。
大学に入った当初から、周囲の環境に馴染めませんでした。友達らしい友達もおらず、学校も行ったり行かなかったり。なんかサークルみたいなのもフラッと顔は出してみるものの、面白くなくて。。
大学に入って半年経ち、野球の慶早戦というものに誘われます。あんまりよく知らなかったんですけど、聞いてみると4年生の高橋センパイが、田淵幸一の東京六大学野球のホームラン記録に29年ぶりに追いつこうとしているらしい。
知り合いに誘われるがまま、神宮球場に行ったところ、少し出遅れ気味で、入れたのは左中間スタンドあたり、どちらかと言うと早稲田の応援席に近い方でした。試合当初から、あんまり試合は目に入らず、早稲田チアガールばっかり見てました。
可愛いチアガールの中に1人、女芸人みたいな方が居て、その豊満なボディをフル活用しながら満面の笑みでノリノリで踊ってるのです。コントかよ!みたいな感じでとにかく面白くて、私はずっとその方を笑いながら見てました。
その時、カーン!!という打球音と共に、球場全体がワーー!!という歓声が湧きました。
どうやら高橋センパイが大きな当たりを打ったらしい。でも、打つ瞬間を見逃していたら、広い球場の上空で白球を見つけることなどできません。数秒経ち、ライトのポール際が、沸き立ちました。見事にスタンドイン!
高橋センパイ、29年ぶりに田淵幸一に追いつく記録のホームラン!
歴史に残るその瞬間、自分は早稲田の豊満チアガールを見ていた、以上、そういう話です。
なんだかんだ親のスネを齧りまくって、大学院まで進めせてもらいました。学部は理工学部でした。学部、修士を含めて、6年間のうち3年間ぐらいしか学校に行かなかった感じです。
毎年、大学から送られくる成績表を開けるのが怖かったです。進級するのに単位は足りてるのか。自分の計算ではギリギリセーフのハズなんだが。。
そして本当に本当に、ギリギリの単位で卒業をしました。未だに単位を落とす夢とか、修士論文が提出できない夢とか見ます。僕、もう40歳なんですけど、何歳になればこの夢を見なくなるんでしょうか。
就職してから
大学時代の劣等生ぶりをなかったことにして、国内最大手のメーカーに就職しました。職種はSE(システムエンジニア)というやつです。
俺さ、社長になるつもりで仕事するわ
そう言って入社式を迎えました。・・・なんで突然って感じですが、6年も劣等生やっててちょっと飽きてたんですよね。
人生は人生ゲームと言い出したのもその頃です。
人生は人生ゲーム
80年間の長い暇つぶし1位でゴールしても、お金をたくさん持っていても、終わりが来たら全部チャラ
ゲームなんだから、一番熱中できた人が本当の勝者
だから今日も精一杯、本気でルーレットを廻そう
— ケビン松永 (@Canary_Kun) January 7, 2018
仕事も自分が本気で熱中しなかったら、肩身が狭くて辛くなるばっかりだなと思い、新人研修の頃から、自分が社長になったつもりで仕事してました。
そうすると面白いもので、仕事サボってる人を見たり、すぐにタクシー乗る管理職とか見るとムカついた。
俺の会社でそういうことするの、やめてくれる?
と思ってました。まあそんな感じで、仕事にも没頭してたら評価もしてもらって、出世レースも先頭を走るようになりました。
独立
諸般の事情により、会社を退職することを決意しました
2018年の暑い日、中間管理職だった私は上位管理職に退職の意思を告げてました。評価もしてもらってるし、待遇も世間の平均値と比較したら悪くない。トップレベルの恵まれた環境にいたと思います。それなのに何故、私は退職しようと思ったのか。
…そこに至るまでには、さまざまな伏線がありました。
自分も今年で40歳。人生80年と考えたら、ちょうど折り返し地点です。
高校生の時に、担任の先生が言ってた言葉が記憶に蘇ります。
古代中国の孔子さんて、知ってる?思想家の
論語という書物の中で仰ってるんだよね。
「自分は十五歳のときに学問を志し始めた」
「三十歳にして独り立ちをし」
「四十歳で迷うことがなくなった」
40歳の事を【不惑】と呼ぶのも、この論語から来てるんだけどね。いやー、孔子先生すごいよ。さすが聖人だなって思う。
みんな、まだ10代だから分からないと思うけど
人生の先輩として教えておくね。
普通の人は逆だ。
40歳になるとね、すっごい惑うよ。
折り返し地点に立ってみて、自分の人生は本当にこれで良いのかって考える。40歳で迷わなくなるというのは聖人の域だね。
40歳の誕生日を迎えた時、私は先生の言葉を思い返していました。
自分はどんな50代、60代、70代になっていたいんだろうか
そして、おぼろげながらに自分の目指す姿が見えてきた時、今の延長線上にはその姿はないと感じたのでした。
別に、世界征服しようとか、億万長者になりたいとか、無茶な夢を持ってるわけではありません。私の希望は、ささやかなものです。
- いつも好奇心を持って新しい事にチャレンジし
- 知識と経験を伸ばして、自分の成長を感じながら
- 自分のスキルを使った問題解決で社会に貢献し
- 家族を養えるだけの収入と資産を持つこと
…というのをですね。自分自身で方向性を決めて、自分の裁量で、自分で稼働率をコントロールしながらやれたら素敵だなって思ったんです。
例えばですよ。
- 70歳だけど現役で、週1で2つの仕事を掛け持ちしながら
- 高度な経験とスキルで良い仕事しつつ
- わりと遜色ない収入を得ながら
- 残りの週5は余生を楽しんでたら
それって素敵じゃないですか?
人生、極まってるなって思いますよね?
そんなこんなで、15年間勤めた会社を退職し、独立してITコンサルタントとして生きていくことを決意しました。
退職およびその後の経緯については、こちらでエントリを書いておりますので、ぜひともお読みください。
このブログの紹介
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同じような悩みを抱える同世代、若い世代の方々が人生設計を考える上で、少しでも参考になれば幸いです。個別相談がある方は、お問い合わせページからお問い合わせ頂くか、Twitterから気軽にDMして下さい。拝承です!と答えます。
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