前編に引き続き、後編も人材育成について語ります。
人材育成のゴール
自律的に成長していける人材
人材育成の最終目標は、自分自身で学習して自律的に成長していく状態になる事だと考えます。誰に働きかけられないでも、独り立ちをしてやっていける状態。
上司も親も、ずっと自転車の後ろを押し続ける事はできません。どこかのタイミングで、自分で漕ぎ出すようになってもらう必要があります。
植物みたいな有機的な成長が理想
自分は、家庭菜園で野菜を育てたりするんですけど、いつも「植物の成長ってすごいなぁ」と感じます。
見るたびにものすごい勢いでどんどん大きくなっているし、 ちょっと障害物があったとしても、無理に打ち破ろうとはせずに、迂回したり脇芽を伸ばして進んでいく。
ぐんぐん蔓を伸ばしって、どんどん空間を埋め尽くしていって、やがて障害物が見えなくなるぐらいに全体を覆い尽くしてしまいます。
税関で、種子の持ち込みを固く禁じているのも頷けるw
人間も、こんな感じで有機的に成長できるのが理想だよなーと、野菜に水をあげながら物思いにふける今日この頃であります。
育成には限界もある
成長意欲は鍛えられない
「放っておいても勝手に成長していく人材を育てる」というのが究極的なゴールではありますが、実際に人材育成に携わってみると
- A 自律的に成長できる人材
- B 働きかければ成長する人材
- C 何をやっても成長しない人材
という区分は確実に存在します。
そして、これまでの自分の経験では、どんなにいろいろ試行錯誤して働きかけてみても、この区分を変えられた事がないです。
やる気がないと言うよりは、もともとDNAとして成長意欲を持っていなくて、生まれ持った「生きるエネルギー」が薄い。
成長意欲というのは、人間の根幹となる「生きるエネルギー」と直結していて、持って生まれた才能なのかなと思います。
育成側が働き掛けてどうにかなるものでもないのかなと…。 残念ですけど、成長する才能のない人は、何回鐘を叩いてもまったく響かない。
育成して出来ること
自ずと育成には限界があります。「うまく育成すれば思い通りに育てられる」なんてのが、そもそも傲慢な考えにも思えます。
もとの種に「生きるエネルギー」が備わっていなかったら、どんなに工夫して面倒をみても芽は出ません。
育成でできることは、太陽に当たる場所に置いてやって、定期的に水や肥料をやり、支柱を立ててガイドしてやるぐらいなもんです。
たくさん肥料をやっても、ある大きさまでしか育たないし、ましてやキュウリは絶対にトマトにはならない。
育成して意味ある人と意味ない人
先程のABC区分の比率を、前職の組織について主観で申しあげると
- A :10% 自律的に成長できる人材
- B :20% 働きかければ成長する人材
- C :70% 何をやっても成長しない人材
ぐらいの比率だった気がします。この比率は母集団によって変わってくるでしょうけど。
前編で、自分は普通の人の10倍ぐらいは育成に情熱を注ぎ込んだと言いました。しかしながら、自分が注ぎ込んだ情熱の70%ぐらいは、ほとんど効果を生みませんでした。
組織の人材計画
組織の中では、人材計画というのを作ります。中期経営計画を達成するにあたり、現有メンバーをどう育てていくのか。数年後の目標達成に向けて、現有メンバーだけでは足りないのであれば、ういったスキルの人材を何人確保してくる必要があるのか、その手段はetc…
近年、企業も変革しようとしています。これまでSIerは、顧客の言う通りにシステムを作れば商売が成り立っていた でも、今後はそれでは食っていけません。今や、中高生だってプログラミングするんですから。
「お客様と協働で経営課題を解決していくんだ」
「ビッグデータ・IoT・AIなどを使って、経営課題を共有するところから始めるんだ」
「いつまでも御用聞きのSEをやっていてはダメなんだ。コンサルに生まれ変わるんだ」
トップから、そんな感じの大号令がかかります。そして教育計画を作ります。
でもさ… そんなの、ぶっちゃけ無理でしょ。。
だってさー、70%は打っても響かない鐘なんだし そもそも採用時点で、そういう観点で選んでませんよね?
トマトの苗を買ってきて、何年もトマトとして肥料と水まいておいて
いまさら「市場はキュウリが高値だから、キュウリになれ!」って言ったって
ムリムリムリムリ〜〜〜いまさら無理ですから〜〜!!
大人になって成長を止める人
社会人になると、多くの人が成長するのを止めます。有名な中高一貫校を卒業し、優秀な大学を卒業しても
「自分、本とかあんまり読まないんで」
「人生で一番勉強したのは中学受験のときです(キリっ」
みたいな人は、掃いて捨てるほどいます。
なので、ビジネスライクな自分の意見としては、育成する意義のある区分A・Bのみを育成して
全体の70%を占める区分Cについては育成は諦めて、短期的なパフォーマンスのみ重視し、プレッシャーをかけて詰め続けるというのが、最もドライで合理的な考え方なのかなと思います。
これはスパルタ「教育」ではなくて、パフォーマンスを出すためだけの手段ですね。
区分A・Bを含めた全体にプレッシャーを掛けてしまうと、優秀な人がすぐに辞めてしまうので、長期的には組織が衰退します。
成長は自己責任
アメリカは転職が盛んなので、基本的にはスキルアップは自己責任なんですよね。
企業研修もあるけど、報酬の一部という位置づけだったりもします。
「スキルアップしたいやつは自分ですれば良い。報酬が上がるかも」
「スキルアップが面倒なやつはしなくても良い。給料は低いままだけど」
そこらへんの考え方が非常にシンプルで、自分としては好感が持てます。
他方、日本では企業側に育成責任があります。
生きるエネルギーが薄い人材にも、成長意欲がない人材にも、既に現有メンバーとして居る以上、どうにかして育成して戦力アップを図って行く必要があります。
今後、もし自分が上に行ったとしたら、部下の数が増えていくにつれ 不毛だなと思いつつ、人材育成施策について頭を悩ませていたことでしょう。
その悩みが、今後もずっと続いていくと考えると本当に憂鬱でした。
…自分の器が小さかったのだけかもしれませんが、自分が退職を決めた理由には、人材育成についてのテーマも一因です。
もともと、自分は人に物を教えるのが好きなタイプです。先祖を辿っていくと教師が多いので、そういうDNAを授かっているのかもしれません。
でも、成長意欲のない人間に情熱を注ぎ込めるほど、自分の人生は暇じゃなかった。
一生懸命に頑張っている人を見ると、自然と自分も頑張ろうという気持ちが湧いてきます。せっかく何かを教えるなら、意欲のある人がたくさん集まるコミュニティで行いたいと思いました。
とはいえ、人材育成はなかなか奥深いテーマでして、私も分かったような事を言ってますが、まだまだ未熟者です。
ぜひ、いろんな立場の方とさまざまな観点から、今後も意見交換させて頂きたいと思います。
ご感想、ご意見などありましたら、問い合わせフォーム、Twitter、質問箱などからご意見を寄せて頂けると幸いです。
今回の記事は以上です。 少しでも面白かったと思えたら、拡散してもらえると励みになります。